先日、ある人との会話。因みに当方は接客モード。
某 :「でも○○さんって煮chで書かれてるほど酷い人じゃないよ」
ら。:「いや、似chとか言われても見てないんでわからんのですが・・・」
某 :「またまた〜」
?????
俺の日本語能力で解釈するなら、その「またまた〜」は
「本当は見てるくせに」という意味だ。
そんなに世間一般の嗜みなのか。
あれが?大の大人が真面目に参照するに値するのだろうか・・・???
検索すればそのログがちょくちょくひっかかり、
サイトのURLが曝されればアクセス数は爆発する。
などと書いたところで、実際にうろうろしてみたら、
なんの事は無い、自分のやってる別サイトはすでに曝されていた。
ある日急激にアクセスが伸びたのはこれかよ。書き込み日時も一致する。
しかもリンク元わからないように、HTTPじゃなくてTTPで始まるURLでやんの(笑)
なんだこの中学生が小遣い誤魔化すような微笑ましさは(笑)
その・・・匿名とか悪口とかは嫌いなたちで・・・。
たまに「ブッシュ君?」なんて書いてるけど、主張は正当だと思ってるし、
もし全くなんの個人情報も公表せずに書いてもぜんっぜん面白くない筈。
出来る範囲でブッシュ君当人と立場を近づけようというのだ。
大袈裟に言えばね。
荷chの情報量を見れば素晴らしいと思いがちなのも理解できるけど、
その見解はもしかしたら情報化社会の病的な副産物で・・・。
情報は単純に量だけ掛け算すれば良いってもんでもないと思うんだが。
そこに載ってる情報がどんなスクープだろうが、
誰か「人」が意図的に載せた物じゃければ、WEBに流れるなんて事はない。
こういっちゃなんだが、「これがWEBに流れたら騒ぎになるかもなあ」なんて
情報はある程度の大人になれば誰でも持つ物なんだよねー。
まして、匿名でも情報が希少であればあるほど情報源は特定しやすい。
あ、これはこいつが書いたな、ってのは関係者が見ればわかるんだよね。
IP云々とかに詳しい人なら猶のことわかると思う。
(全く関係ないけど、本名とかのプライベートな情報を知ってる人が
HNでやってるブログなんかを稀に発見したりするもんな。
同一人物だと見抜くヒントはWEBには載って無くてもねー)
まあインターネットも所詮は現実社会のインフラがないと稼動しない。
爾chに限らず。ほら、停電したら使えないじゃん。
仁chで情報が手に入るというなら、情報源が分からない情報をどう役立てる?
仮に貴方がなんかの資料を提出しなきゃならないとして、
ソースは尓chですと堂々と記せるか?
それを社会が認めるとでも?
信憑性は名前と共についてくる。例えば陳健一の料理と俺の料理。
他になんの情報もなくてどっちかを食えるといわれたら?
明日の天気は雨です。俺の予報と気象庁予報部の発表では?
だから、誰かが書いたコメントでも、『誰か』が判るのと判らないとでは、
情報の価値は段違いなんだ。判って下がる価値も当然あるだろうね。
でもな、その情報の信憑性はWEBサイトを通じてまでのレベルでなら、
すぐに個人で検証できるわけで。そこから先は、(先という言い方が不透明だが・・・)
必要に応じてWEBからその情報を持つ個人にコンタクトを取って、とかさ。
これは極めて当然の事、で、あってるよね?
では意見の価値は?と言われるとねえ、これがまた。
尚、途中から論旨云々よりも弐尓荷と漢字の変換を楽しんだ記事になった、
なんてことはない。いや、無いって。ねえよ。
本人が言ってるじゃないか。なに。丹chに書いてあった?
知らんよ。


